『 京つれづれ 』
幻の京のかくれ屋① 「大理石のカウンター」 京情緒とは正反対の庶民的な盛り場だ。 土産物などを求める修学旅行の生徒や最新のファッションに身を包んだ若い人たちで賑わう新京極を四条通りから北へ四,五分歩くと右手に観音開きのガラス戸の有る店がある。 ガラス戸を押し開け中に入ると、右手にその大理石のカウンターが店の奥まで続く。 左手は、五,六人が掛けられる大きな木の円卓が四つ並んでいる。 昼から午後九時までビールや酒を片手の常連さんから和洋中の定食を求める老若男女まで、いつ入っても賑やかだ。 店内は、庶民的な雰囲気の中に約八十年の時の流れを感じさせる味わい深い食堂だ。 幻の京のかくれ屋② 「京の立ち飲み」 その店は、四条通と河原町通の間の細い路地にある。夕暮れになると、寺が多いこの筋は、寺の合間から赤い火青い火が灯り、淫靡な匂いが漂っていた。好奇心いっぱいの高校生の頃。今から四十五、六年前ほどのことだ。 入り口は、左右に2ヶ所。小さい白地の暖簾をくぐるとガラスの引き戸がある。中に入ると、藍染の暖簾の左手は、厨房。その右手は。コの字形のカウンター、真っすぐ進むと、その奥は、四人掛けのテーブルが三台。小あがりの二畳ほどの座敷に小机が二台。店は狭いが客が多い、旨くて安い、庶民の飲み屋だ。 壁にはところ狭しと、旨そうな季節の酒の肴の名札がずらりと貼ってある。正午に開く店内は、常連さんがコの字形のカウンターに肘を掛け、一杯やりつつワイワイガヤガヤ。 幻の京のかくれ屋③ 「京の洋食屋・その一」 京の北東に位置する平安神宮は、平安遷都千百年を記念して、明治二八年に創建された。 当時の京は、幕末の戦乱で市街地は荒廃し、東京遷都で、その衰退が止まらず、京の復興の象徴として平安神宮は、創建された。 その洋食屋は、その平安神宮の近くにある。四十数年、家族で切り盛りされている。銀閣寺近くに仕事場を持っていた時には、昼時になると、家にいるような雰囲気と味につられて。ついつい寄りたくなった。 今でも近くに行くと、自家製のドミグラスソースがかかった特製コロッケを肴にビールを飲む。オムライス、ハイシライス、マカロニグラタン、エビフライ、どれも旨い。特に昼は、待たなくては入れないが、ランチは、量もたっぷり、安くて、旨い。 幻の京のかくれ屋④ 「太夫好み」 京は、「新撰組」が活躍した幕末の影が街のあちこちに残る。島原なじめ木屋町通りや三条界隈をあるくと石碑などにその足跡が見える。新撰組といえば、彼らは、もっぱら本営のある島原で遊んでいた。島原の置屋・輪違屋には、彼らが飲んで暴れたか、柱などに刀傷が残っている。また、近藤勇の書もみえる。 寛永十七年(1640)に秀吉の命で丹後街道沿いの今の場所に移された。引越しの騒ぎが天草・島原のキリシタンの乱を思わせることから、島原という名がついたらしい。 店は、その島原の近く。知る人ぞ知る、お好み焼き屋だ。店に入ると十人ほどが座れる、くの字形の幅広の鉄板があり、その後ろに六人掛けの椅子とテーブルがあるのみ。いつ行っても席の空いていることはない。 豚、牛、ミックス、キャベツたっぷりのお好み焼き。特製泥ソースが逸品。新撰組の若者も泣いて喜んだであろう、そのとき在らば。 幻の京のかくれ屋⑤ 「三代目」 祇園祭の昼時、のどの渇きを癒そうと、ふと目に入った暖簾をくぐった。店は、四条高倉を二筋ほど下がった右手の角にあった。 店内に入り、すぐ右手の小さな引き戸を開けると、五人だけが座れるカウンター。「おいでやす」の声とともに和服姿の女将さんの笑顔に迎えられた。女将さんの後ろから、淡い水色の着物に身を包んだ、若女将が微笑み、冷えたお絞りをそっと手渡し、二階の座敷に上っていった。聞けば、最近、二代目が亡くなり、三代目が、「昔ながらの京都の味を大切に」をこころに、店をついで頑張っていた。 先ずは、きりりと冷えたビールを注文。昼時のお決まりの箸休めの鱧落しが嬉しい。 ひとつひとつ手造り料理で、味もなかなか、勘定は、納得。ほっこりとした時を過ごし、身もこころも癒された。 幻の京のかくれ屋⑥ 「酒屋の地下」 京の西、西大路通りを東へ、御前通まで歩くと、ビルの一階に、一本一本ご亭主がこだわり、取り寄せ、吟味した全国各地の銘酒が、ところ狭しと並べられた酒屋がある。 その店の地下に直営の居酒屋がある。地下を降りると、手前左手は、十人は座れるカウンターがあり、その奥の厨房では、笑顔いっぱいの女将さんが料理に腕を振るっている。そのまま進むと、三十人は座れる大座敷。三方の壁に飾られた、酒にまつわる書画が、ご亭主の自慢だ。 庶民的で気さくな女将さんの肴は、大酒飲みのご亭主仕込み。肴の品数は、旬に合わせて、あれこれ、いろいろ。旨い。ご亭主推奨の旨酒が、すいすい喉もとを通り過ぎる。酒飲みには、ありがたい店だ。 幻の京のかくれ屋⑦ 「京でふく」 夕暮れ時、年末恒例の顔見世がかかる南座を南へ下がり、四条と五条の間、松原通を東へとことこ歩くと宮川町筋のお茶屋の赤ちょうちんがちらほら灯っている。 店は、宮川筋の手前、松原橋から一,二筋東へ、その細い路地を北に上がると白い暖簾に白提灯が下がっている。 ご亭主は、九州から板前修業に京に出て数十年、お茶屋を買い取り、念願のわが店を構えた。店内は、たたきの玄関を上がると右手に十人ぐらいが座れるカウンターがあり、その奥は、厨房。一階、二階には、お茶屋の名残を思わせる小部屋がある。 店の料理は、何でもお勧めだが、特に産地直送のふくが安くて旨くて。仲居さんの笑顔と細やかな気配りが嬉しい店だ。 幻の京のかくれ屋⑧ 「百万遍の喫茶店」 百万遍。東山通りと今出川通りの交差点。浄土宗の四本山のひとつ百万遍知恩寺があるから、皆が昔から、この辺りを百万遍と呼んでいる。百万遍知恩寺は賀茂社の神宮寺としての起源を持ち、浄土宗としては珍しく境内に賀茂明神の分社が鎮座している。 喫茶店はこの近くにある。創業は昭和六年。京都で初めてフランスパンを始めた事でも有名だ。店の中に入ると、重厚でゆったりした木製の「長テーブル」が目に入る。これは木工芸で重要無形文化財保持者の黒田辰秋の作だ。黒光りに磨いた木製床も良いし、音楽が流れてないのも、落ち着く。静かに本を読んだり、書き物をしている若者が多いのも頷ける。ここは、京都大学の門前だ。 幻の京のかくれ屋⑨ 「新京極のうなぎ屋」 新京極。明治五年(一八七二)、新京極は開かれた。明治天皇の東京遷都などで京都の沈滞した空気を一掃するため、時の京都府参事槇村正直により、当時荒廃した寺院の建並ぶ寺町を切り開き、三条通と四条通の間の南北に一大娯楽街をつくった。通りの名前も寺町の古名・京極に対して新京極と名づけ、以来、京都庶民の街だ。今は、内外の観光客はもとより、年中、修学旅行生で溢れている。 その店は、三条通り新京極を一つ下がったところを東に入るとある。二十歳の頃、映画を見終わった後、店に入りうなぎの白焼きを頼みビールを飲んだ。大人のまねをした懐かしい店だ。今も昔も常連さんが昼間でものんびりと酒を飲み、うなぎを食べている店だ。 幻の京のかくれ屋10 「京の洋食屋・その二」 三条通。西は、嵐山から東は、東海道の西の起点・三条大橋へ続く。こ橋のたもとに道標がある。この道標は延宝六年(一六七八)に建立され、現存する京都で最古の道標だ。江戸や東国から来た人々には終着点だが、当時の首都「京」から見れば、ここが出発点だ。 この三条大橋から東へ一〇分ほど歩き、東山通りを過ぎて、平安神宮の見える通りに着く。店はその角にある。店に入ると濃茶の4人掛けの木のテーブルが8組ある。料理はあくまで仕事が丁寧で、旨い。特に、今日のランチが質量とも文句ない。いつもビール2本が軽く空く。 近くの美術館に行くと帰りは、この店に入らないと、その日の一日が終わらないような気分になる。
by hajimerakan
| 2005-05-10 18:22
| 京つれづれ帖
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