夢一歩一歩

こころの森美術館について
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私が “我がこころの五百羅漢を求めて”と題し、五百羅漢シリーズを制作し始めて19年、1997年の春に五百羅漢全作品を完成することができました。
 五百羅漢に込める思いは、仏教に伝わる羅漢像を写すことでなく、羅漢さんの姿を借りて、人生で誰もが出会ったり、見たり、聞いたり、感じたりする日常的な人間の喜怒哀楽のこころの表情を写すことにあります。
 『こころの森美術館=五百羅漢堂』は、その五百羅漢さん一堂に会する館を造りたいとの想いで、1993年(平成5年)1月にその発願し、21世紀初頭の落慶を夢見ています。
 『こころの森美術館=五百羅漢堂』は、NPO法人として運営される予定であり、決して幻一個人のための美術館ではなく、また、言うまでもなく宗教的な館でもありません。
 私の五百羅漢シリーズが木版画作品ということもあり、版画美術に焦点を当てた世界でも数少ない版画美術館にしたいと思っています。そこでは、多種多様な表現技法による版画作品を展示するとともに、例えば、世界各国の芸術家の登竜門となるような “丹後・世界版画ビエンナーレ”のような展覧会を企画運営し、版画を通して、世界に開かれた芸術の新しい発信地になることを願っています。

 また、版画は、複数制作が可能で、油絵や日本画、彫刻作品などと違い、軽量で世界中の作家との交流にも適しているといえます。ピカソやダリ、ミロ、ゴヤ、ミケランジェロなどきら星のごとく輝く世界的な芸術家の作品も、現代の世界的芸術家の素晴らしい作品も、版画作品ならこそ、世界各地の人々が、同時に鑑賞することが可能なのです。
                                        幻 一合掌

詳細は、幻 一後援会「こころの森」ネット
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# by hajimerakan | 2005-05-11 09:17 | 夢のこころの森美術館

幻 一こころの談話室

皆さん! 自分の顔は、 唯一、二つとありまへん
こころを筆で描く講座

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この講座は、「ことばカード」を引いて、その漢字からこころ(顔)の表情を思い浮かべ、考え、墨と筆で描く楽しい講座でっせ。
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思わず熱中して日常のモヤモヤしたものが、スッカーと取れ、こころ晴ればれしまっせ!

顔は、何でも知っている
顔は、人のこころやその人の歩まはった足跡を写しますなあ。 
人と会った時や話をしたはる時、こころの中で自分の顔を思い浮かべ、顔に、どんな「喜怒哀楽」の表情が出ているか考えて見ましみまへんか。
「和顔他照」といいます。  
誰もみんな今日は、今日しかありまへん。
できるだけ、人には、ええ笑顔で出会って、人のこころを照らしまひょ。

自分の顔に感謝のこころをお持ちになっていはるお方は、いはりますか。
この講座で、改めて、自分の顔とこころを見つめてもれえば、こんな有難ことはおへん。
感謝、感謝。
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材料リスト
①用紙B4判コピー用紙 1人20枚ぐらい
    ②墨汁  ③小皿  ④中筆
講座は、1時間30分から2時間ぐらい 

* 出張講座いたします。お問い合わせ、お申し込みは、下記のメールアドレスへ
   maborosi@aurora.ocn.ne.jp
   
   講座 10名以上でお願いします。 遠近問わず、どこにでも参ります。





「笑顔の花を咲かそう」
  最近、医学会では、ガンの治療に「笑い療法」というのがあるそうだ。 
これは、文字通り笑うことでガンの進行を抑えようというもので、漫才や喜劇を見たり、積極的に生活の中に笑いを取り入れるとガン細胞が小さくなるとのこと。
作り笑いでも有効だという。
まさしく「笑顔百薬」だ。
 政治家の先生方は、最近景気が回復基調にあるという。
が、この10年間、不良債権の削減がさも世のためのように云われ、その影で何十、何百万の人々が首を切られ、路頭に迷ったことか。
そんな今の世、こころが荒れて悲観的な大人達の顔が、無邪気な子供たちに映り、笑顔が消えているように思う。
「諸行無常」。
良いも悪いも、いつどうなるかわからないのがこの世。
あれが悪い、これは難しいとしかめっ面をするよりも、毎朝、歯磨きをした後、「一日一笑」といって鏡の前を離れると良い。
一つの笑顔が子供や周りの人に映り、一日笑顔に囲まれるに違いない。
 赤ん坊の笑顔を見れば、誰もがこころ和み、幸な気持ちとなるが、取り分け我が孫となれば
格別だ。
お陰さまで、私も孫に恵まれ、その気分を味わっている。
その事もあり、4年前より「わらべ羅漢」作品の制作を始めた。
「わらべ羅漢」で笑顔の花が咲くことを祈念して。
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# by hajimerakan | 2005-05-11 07:52 | 幻 一こころの談話室

京あれこれ

『 京つれづれ 』

幻の京のかくれ屋①
「大理石のカウンター」
 
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明治維新後、都が東京へ移り、都が寂(さび)れると、時の知事が都の東のはて(極)に露天や見世物を集めて作らせた盛り場が新京極。
京情緒とは正反対の庶民的な盛り場だ。
土産物などを求める修学旅行の生徒や最新のファッションに身を包んだ若い人たちで賑わう新京極を四条通りから北へ四,五分歩くと右手に観音開きのガラス戸の有る店がある。
ガラス戸を押し開け中に入ると、右手にその大理石のカウンターが店の奥まで続く。
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左手は、五,六人が掛けられる大きな木の円卓が四つ並んでいる。
昼から午後九時までビールや酒を片手の常連さんから和洋中の定食を求める老若男女まで、いつ入っても賑やかだ。
店内は、庶民的な雰囲気の中に約八十年の時の流れを感じさせる味わい深い食堂だ。
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幻の京のかくれ屋②
「京の立ち飲み」
 その店は、四条通と河原町通の間の細い路地にある。夕暮れになると、寺が多いこの筋は、寺の合間から赤い火青い火が灯り、淫靡な匂いが漂っていた。好奇心いっぱいの高校生の頃。今から四十五、六年前ほどのことだ。
 入り口は、左右に2ヶ所。小さい白地の暖簾をくぐるとガラスの引き戸がある。中に入ると、藍染の暖簾の左手は、厨房。その右手は。コの字形のカウンター、真っすぐ進むと、その奥は、四人掛けのテーブルが三台。小あがりの二畳ほどの座敷に小机が二台。店は狭いが客が多い、旨くて安い、庶民の飲み屋だ。
 壁にはところ狭しと、旨そうな季節の酒の肴の名札がずらりと貼ってある。正午に開く店内は、常連さんがコの字形のカウンターに肘を掛け、一杯やりつつワイワイガヤガヤ。




 幻の京のかくれ屋③ 
「京の洋食屋・その一」
 京の北東に位置する平安神宮は、平安遷都千百年を記念して、明治二八年に創建された。
当時の京は、幕末の戦乱で市街地は荒廃し、東京遷都で、その衰退が止まらず、京の復興の象徴として平安神宮は、創建された。
 その洋食屋は、その平安神宮の近くにある。四十数年、家族で切り盛りされている。銀閣寺近くに仕事場を持っていた時には、昼時になると、家にいるような雰囲気と味につられて。ついつい寄りたくなった。
 今でも近くに行くと、自家製のドミグラスソースがかかった特製コロッケを肴にビールを飲む。オムライス、ハイシライス、マカロニグラタン、エビフライ、どれも旨い。特に昼は、待たなくては入れないが、ランチは、量もたっぷり、安くて、旨い。

 
 
幻の京のかくれ屋④
「太夫好み」
 京は、「新撰組」が活躍した幕末の影が街のあちこちに残る。島原なじめ木屋町通りや三条界隈をあるくと石碑などにその足跡が見える。新撰組といえば、彼らは、もっぱら本営のある島原で遊んでいた。島原の置屋・輪違屋には、彼らが飲んで暴れたか、柱などに刀傷が残っている。また、近藤勇の書もみえる。
 寛永十七年(1640)に秀吉の命で丹後街道沿いの今の場所に移された。引越しの騒ぎが天草・島原のキリシタンの乱を思わせることから、島原という名がついたらしい。
 店は、その島原の近く。知る人ぞ知る、お好み焼き屋だ。店に入ると十人ほどが座れる、くの字形の幅広の鉄板があり、その後ろに六人掛けの椅子とテーブルがあるのみ。いつ行っても席の空いていることはない。
 豚、牛、ミックス、キャベツたっぷりのお好み焼き。特製泥ソースが逸品。新撰組の若者も泣いて喜んだであろう、そのとき在らば。




幻の京のかくれ屋⑤
「三代目」
 祇園祭の昼時、のどの渇きを癒そうと、ふと目に入った暖簾をくぐった。店は、四条高倉を二筋ほど下がった右手の角にあった。   
 店内に入り、すぐ右手の小さな引き戸を開けると、五人だけが座れるカウンター。「おいでやす」の声とともに和服姿の女将さんの笑顔に迎えられた。女将さんの後ろから、淡い水色の着物に身を包んだ、若女将が微笑み、冷えたお絞りをそっと手渡し、二階の座敷に上っていった。聞けば、最近、二代目が亡くなり、三代目が、「昔ながらの京都の味を大切に」をこころに、店をついで頑張っていた。
先ずは、きりりと冷えたビールを注文。昼時のお決まりの箸休めの鱧落しが嬉しい。
 ひとつひとつ手造り料理で、味もなかなか、勘定は、納得。ほっこりとした時を過ごし、身もこころも癒された。




幻の京のかくれ屋⑥
「酒屋の地下」
 京の西、西大路通りを東へ、御前通まで歩くと、ビルの一階に、一本一本ご亭主がこだわり、取り寄せ、吟味した全国各地の銘酒が、ところ狭しと並べられた酒屋がある。     
 その店の地下に直営の居酒屋がある。地下を降りると、手前左手は、十人は座れるカウンターがあり、その奥の厨房では、笑顔いっぱいの女将さんが料理に腕を振るっている。そのまま進むと、三十人は座れる大座敷。三方の壁に飾られた、酒にまつわる書画が、ご亭主の自慢だ。               
 庶民的で気さくな女将さんの肴は、大酒飲みのご亭主仕込み。肴の品数は、旬に合わせて、あれこれ、いろいろ。旨い。ご亭主推奨の旨酒が、すいすい喉もとを通り過ぎる。酒飲みには、ありがたい店だ。




幻の京のかくれ屋⑦
「京でふく」
 夕暮れ時、年末恒例の顔見世がかかる南座を南へ下がり、四条と五条の間、松原通を東へとことこ歩くと宮川町筋のお茶屋の赤ちょうちんがちらほら灯っている。        
 店は、宮川筋の手前、松原橋から一,二筋東へ、その細い路地を北に上がると白い暖簾に白提灯が下がっている。         
 ご亭主は、九州から板前修業に京に出て数十年、お茶屋を買い取り、念願のわが店を構えた。店内は、たたきの玄関を上がると右手に十人ぐらいが座れるカウンターがあり、その奥は、厨房。一階、二階には、お茶屋の名残を思わせる小部屋がある。        
 店の料理は、何でもお勧めだが、特に産地直送のふくが安くて旨くて。仲居さんの笑顔と細やかな気配りが嬉しい店だ。



幻の京のかくれ屋⑧
「百万遍の喫茶店」
 百万遍。東山通りと今出川通りの交差点。浄土宗の四本山のひとつ百万遍知恩寺があるから、皆が昔から、この辺りを百万遍と呼んでいる。百万遍知恩寺は賀茂社の神宮寺としての起源を持ち、浄土宗としては珍しく境内に賀茂明神の分社が鎮座している。
 喫茶店はこの近くにある。創業は昭和六年。京都で初めてフランスパンを始めた事でも有名だ。店の中に入ると、重厚でゆったりした木製の「長テーブル」が目に入る。これは木工芸で重要無形文化財保持者の黒田辰秋の作だ。黒光りに磨いた木製床も良いし、音楽が流れてないのも、落ち着く。静かに本を読んだり、書き物をしている若者が多いのも頷ける。ここは、京都大学の門前だ。




幻の京のかくれ屋⑨
「新京極のうなぎ屋」       
 新京極。明治五年(一八七二)、新京極は開かれた。明治天皇の東京遷都などで京都の沈滞した空気を一掃するため、時の京都府参事槇村正直により、当時荒廃した寺院の建並ぶ寺町を切り開き、三条通と四条通の間の南北に一大娯楽街をつくった。通りの名前も寺町の古名・京極に対して新京極と名づけ、以来、京都庶民の街だ。今は、内外の観光客はもとより、年中、修学旅行生で溢れている。
 その店は、三条通り新京極を一つ下がったところを東に入るとある。二十歳の頃、映画を見終わった後、店に入りうなぎの白焼きを頼みビールを飲んだ。大人のまねをした懐かしい店だ。今も昔も常連さんが昼間でものんびりと酒を飲み、うなぎを食べている店だ。




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「京の洋食屋・その二」
 三条通。西は、嵐山から東は、東海道の西の起点・三条大橋へ続く。こ橋のたもとに道標がある。この道標は延宝六年(一六七八)に建立され、現存する京都で最古の道標だ。江戸や東国から来た人々には終着点だが、当時の首都「京」から見れば、ここが出発点だ。
 この三条大橋から東へ一〇分ほど歩き、東山通りを過ぎて、平安神宮の見える通りに着く。店はその角にある。店に入ると濃茶の4人掛けの木のテーブルが8組ある。料理はあくまで仕事が丁寧で、旨い。特に、今日のランチが質量とも文句ない。いつもビール2本が軽く空く。
近くの美術館に行くと帰りは、この店に入らないと、その日の一日が終わらないような気分になる。
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# by hajimerakan | 2005-05-10 18:22 | 京つれづれ帖

酒羅漢の酒肴

連載 ― 幻の酒肴あれこれ① 
「鰹イタリアン」
        
鰹といえば、五月が通り相場となっているが、これは、走り。
この五月の風薫る頃に、南の海から日本近海にやってくる一団を初鰹という。
旬は、夏。
安くて旨い。 
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鰹の料理はタタキだけではない。
イタリア風は、ひと味もふた味も変わって、旨い。         
鰹を3センチくらい、厚めの切り身にし、塩コショウをする。
ニンニク、生姜を多目におろし、すり込むようにまぶす。
それに、酒や白ワインを一振。
さて、とき卵の中に三葉のみじん切りをたっぷり入れ、よくまぜる。
後は、普通のカツを揚げるのと同じ。
だが、ちょっと贅沢にオリーブオイルで揚げると、一流料理店の味となる。ほんと。
先に用意しておいた鰹を、ニンニク、生姜をつけたまま、小麦粉の上をころがせ、三葉入りの卵をからませ、パン粉をまぶし、キツネ色にカラッと揚げる。
衣の中は、半生、外はカリカリ。
揚げたてのアツアツにレモンを絞るか、スパゲッティーのトマトソースをからませても、旨い。
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連載 ― 幻の酒肴あれこれ② 
「イカ、いっき!」

この料理は、スペインの庶民が大好きな料理で烏賊スミを多く入れるほど旨い。          スルメ烏賊を一ぱいでも、二はいでも、適当に、洗う。
脚と臓物を身からスミ袋を破らない様に、そっと取り出し、背の軟骨を引き抜いておく。 
後は、脚も臓物も身も一緒に、ブツブツと切る。
次に、スミ袋から烏賊スミを絞り入れる。
別の烏賊スミがあればなお良し。
それに塩を軽く降り、酒少々。
白ワインでもいい。
鷹の爪を細かく刻み入れ、全体を良くかき混ぜ、二十分位寝かせる。          
フライパンにオリーブ油をたっぷり入れ、猛烈な強火に。
煙が立つ頃、二、三片分のニンニクのみじん切り、を入れ、
狐色になる前に、先ほどの烏賊を、ドッ!とほうり込み、いっき!にかき混ぜろ。
身が白くなれば、バター一かけを入れ混ぜ合わせろ。
その上に、パセリのみじん切りをたっぷり降りかけ、出来上り。
冷やしたワインと一緒に。
もちろん、冷えた大吟醸でも文句はない。
手早さが、旨さとなる。
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連載 ― 幻の酒肴あれこれ③
「小エビのスペイン居酒屋風」


スペインの街角には、必ずといってよい程、BAR(バル)と看板をかかげた居酒屋がある。
居酒屋の床は、貝やエビの殻や楊子、紙ナプキンが散らかり足の踏み場もないところがある。スペインの酒飲みは、こんな所が旨いという。
あまりきれい過ぎても、落着かないと、日本の酒飲みもいう。
小エビを水洗いし、背わたを楊子で取り除き、水を切っておく。
ニンニクのスライス、パセリのみじん切りを用意しておく。
フライパンにオリーブ油をたっぷり入れ、細火でニンニクの香りをじっくりと出す。
そこにエビを殻付きのまま入れ、素揚げする。
揚がったら塩をサッとふり、みじん切りのパセリをたっぷりとふりかけ出来上り。
ワインはもちろん、どんな酒にも合うd0005421_17454662.jpg




連載 ― 幻の酒肴あれこれ④
「浅利の梅風味」

子供のころ、辻辻を伊勢、鳥羽などから「さかなぁーや、さかな」と、自転車に乗って、新鮮な魚介類を売りに回っていた担ぎの魚屋のおっちゃんの売り声が今でもかすかに耳に残る。
春、四月、五月になると浅利を売っていたように思う。
旬だ。
浅利は、10~15分塩水に漬け砂だしをした後、水切りをしておく。
中華鍋を煙が出るぐらいに焼き、油を入れ、微塵切りの生姜と共に浅利を放り込み、酒も適宜入れ蓋をする。
浅利の口が開いたら梅肉醤油を掛け回し、出来上がり。
梅風味が浅利に合い、酒が進む。d0005421_17493481.jpg




幻の酒肴あれこれ⑤
「帆立の簡単焼き」
  
d0005421_10263914.jpg 帆立は、 蛋白質・カルシウム・ビタミン・鉄分などが多く含まれて酒肴によい。
今は、養殖帆立があり、一年中食べられ、何月の帆立が特に美味しいとかがないから嬉しい。
  帆立を貝から取り、さっと水洗いをし、貝に戻し塩コショウを少々しておく。
その後、山椒の若芽を多めに帆立の上にのせ、それにとろけるチーズをたっぷり掛け、下ごしらえが完了。
後は、ガスレンジの魚焼き器に入れ、焼き加減を見ながら四、五分で焼き上がる。
貝ごと取り出し、さっと醤油を振り掛けておしまい。
料理ができないとお悩みの酒飲みにも簡単にでき、旨い一品だ。
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# by hajimerakan | 2005-04-29 17:18 | 酒羅漢の酒肴