2006年 04月 16日 ( 1 )

徒然なるままに

「我が顔を見る時」 版画家幻(まぼろし) 一(はじめ)

この世は、欲界と言うが、つらつら、日常を振り返ると、欲界にまみれ、後ろ指を差されそうなことばかり。大人の面構えを見習うべくも無く、面が大きくなり、面の皮が厚くなり、こころに仮面をかぶり、面で人を切る事態を起こし、面目を無くすことも多くなりがちだ。この世は、それを避けて通れないのが人生、と自問自答の日々。顔が歪み、複雑な皴が増え、その皴が深くなるばかりだ。
見たくない自分を見るほどいやなことは無いけれど、たまには、朝の洗顔の折に、鏡の前で、わが顔をじっと見つめ、「こころの仮面」を取るのも修行のひとつかもしれない。ただ、五十年前は、我もわらべの時が有ったはずなのに、その面影は、いずこへ、といった思いになる矢も知れないが、それも仕方が無い、我が顔だもの。自分へ合掌し、無事に今日あるのが有難い、父母が有難いと感謝。




「わらべの笑顔」 版画家幻(まぼろし) 一(はじめ)

 子供の頃、京都を南北に流れる加茂川の近くに家があり、大文字焼きの一つである船山の裾にあった、田圃の真ん中の小学校に通った。その頃、山、川、田圃、道路等など、どこでも、外は、みんなの遊び場だった。凧揚げ、駒まわし、缶蹴り、石蹴り、めんこ遊び、縄跳び、馬乗り、かくれんぼ、魚釣り等など。遊びに忙しく、勉強する暇がなっかた。家の中で遊ぶ子供は、あまりいなかった。
 初夏、加茂川に鮎の遡上が始まると、川原にある細竹を切って竿にし、素がけで稚鮎を釣り、誰もいない近くの友達の家で、稚鮎を天婦羅にして食べた。
 夏休みには、朝早くから友達と川に潜り、
手づかみの魚とりに夢中になった。夕刻には、大人の真似をして手ぬぐい下げて長風呂(川が長いから命名したのだと思う)に行った。朝から晩までずっとパンツとランニングで過ごした。身体は、真っ黒に輝いていた。
 秋には、おやつ代わりに、山葡萄や山いちごなどを食べに船山に登った。また、全校生徒で船山の山裾から皆が大声を出しながら山を駆け登り「兎追い」をしたこともあった。
 ほんの、五十数年前の懐かしく楽しい思い出だ。喧嘩もしたが、みんなの顔に笑顔が溢れていた。今のわらべは、どうだろう。
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by hajimerakan | 2006-04-16 16:09 | 幻 一徒然帖